鉄鍋から立ちのぼるスパイスの香り
テルアビブの朝、どのカフェにもある光景があります。黒い鋳鉄鍋が食卓にそのまま運ばれ、トマトソースの中でまだ白身がぷるぷると揺れる卵に、客がちぎったパンを突っ込んでソースをすくう――これが シャクシュカ(שקשוקה / شكشوكة) です。
「ごちゃ混ぜ」を意味するアマジグ語(ベルベル語)が名前の由来とされるこの料理は、もともと北アフリカのチュニジアやリビアあたりで食べられていた家庭料理だったと考えられています。1950年代にイスラエルへ移住した北アフリカ系ユダヤ人が持ち込み、やがてイスラエル全土に広がりました。
英語圏では料理研究家のヨタム・オットレンギが著書やレシピサイトで紹介したことがきっかけです。ここ10年で「Brunch界の新定番」として欧米のカフェメニューに浸透しました。ニューヨーク・タイムズの料理コラムニスト、メリッサ・クラークも2014年にシャクシュカのレシピを掲載して大きな反響を呼んでいます。
シャクシュカは材料も作り方も日本の家庭にフレンドリーですが、和食の「トマトの卵炒め(番茄炒蛋)」と混同されやすく、独立した料理として認知されていません。実際はスパイスの使い方もトマトソースの煮込み加減もまったく別物。中東料理ならではの奥行きのある味わいをぜひ体感してみてください。
フライパンひとつ・35分で完成する手軽さでありながら、スパイスの層が重なった本格的な味。ファラフェルやフムスと一緒に並べれば、自宅が中東のカフェに早変わりです。
調理のコツ
シャクシュカには鋳鉄製のフライパンが最適です。蓄熱性が高いため火を止めた後もソースの温度が安定し、卵が理想的な半熟に仕上がります。テフロン加工のフライパンでも作れますが、食卓に鍋ごと出す演出も含めて、スキレットをおすすめします。ニトリの15cmスキレット(500円前後)で2人分にぴったりのサイズです。ただし鋳鉄製は酸性のトマトソースを長時間放置すると表面のシーズニングが剥がれるため、食後は早めに洗ってください。
- 砂糖を少量加える: 小さじ1/2の砂糖がトマトの酸味を和らげます。2. 煮込み時間を長くする: 酸味は加熱で飛ぶため、10分以上煮込むと丸みが出ます。3. バターを少量加える: 英語圏のシェフが「secret weapon(秘密兵器)」と呼ぶテクニック。仕上げにバター10gを落とすとコクが加わり酸味が穏やかに。
蓋をしてからの時間が卵の仕上がりを決めます。5分 = とろとろ半熟(パンですくうのに最適)、7分 = ジャスト半熟(黄身が流れ出すか出さないかのギリギリ)、10分 = 完全火入れ(黄身が固まる)。英語圏のレシピでは「runny yolk(とろとろ黄身)」がスタンダードとされています。
ソースが水っぽい: 煮込み時間が足りません。ソースの量が2/3になるまで十分に煮詰めてください。卵が沈む: ソースの濃度が薄い証拠。卵を入れる前にさらに1〜2分煮詰めましょう。スパイスが焦げた: ブルーミングの火が強すぎます。中火以下で手早く混ぜてください。焦げたスパイスは苦味のもとなので、焦げてしまったら最初からやり直すのが吉です。
アレンジ・バリエーション
グリーンシャクシュカ(シャクシュカ・クハドラ): トマトソースの代わりにほうれん草・小松菜をベースにしたバージョン。イスラエルでは赤のシャクシュカと並んで定番のメニューです。ほうれん草200gとフェタチーズを多めに入れ、クミンの代わりにザアタルを使うと本場の味に近づきます。ほうれん草は先に軽く炒めて水分を飛ばしてから卵を落とすのがポイントです。
メキシカン風(ウエボス・ランチェロス風): トマトソースにハラペーニョ、コリアンダーリーフ、ライムジュースを加えたラテン系アレンジ。アボカドとサワークリームを添えれば、メキシコの朝食テーブルの雰囲気に。
和風アレンジ: パプリカパウダーの代わりに味噌 大さじ1を溶き入れ、仕上げに大葉と削り節をのせる和洋折衷版。トマトと味噌の旨味の相乗効果で、ガパオライスと同じくごはんにも合う味わいになります。味噌はトマトのグルタミン酸と相乗効果を発揮し、深い旨味を生みだします。
チーズたっぷり版: ソースにモッツァレラチーズを散らしてから卵を落とし、蓋をして溶かす。ピザのような満足感が加わるアメリカのブランチカフェで人気のスタイルです。
ソーセージ入り版: トマトソースにメルゲーズ(北アフリカのラムソーセージ)やチョリソーを加えると、ボリューム満点の一品に。ソーセージから出る脂がソースにコクを加えます。日本のスーパーのあらびきソーセージを輪切りにして加えても十分においしくなります。
豆入り版: ひよこ豆や白いんげん豆を缶詰から水を切って加えると、たんぱく質と食物繊維が大幅にアップします。フムスの原料であるひよこ豆はトマトソースとの相性が抜群です。

この料理の背景 — チュニジアの家庭料理からイスラエルの国民食へ

シャクシュカの起源には諸説あります。有力な説では、チュニジアの伝統料理 「オッジャ(ojja)」 がルーツです。オッジャは卵をソースに 混ぜ込む のが特徴。一方シャクシュカは卵をソースの 上に落とす 点がちがいます。
食文化史家ラフラム・チャッダドは、東アルジェリアからリビア北西部にまたがる「アマジグ三角地帯」が発祥の地だと指摘しています。トマトが16世紀に新大陸からもたらされるまで、この料理は存在しえませんでした。文献に最初に登場するのは1894年のフランス語資料です。つまりシャクシュカの歴史は意外にも130年程度と短く、フムスやファラフェルの数千年の歴史とは対照的です。
1948年のイスラエル建国後、北アフリカ系ユダヤ人(ミズラヒム)が移住してこの味を持ち込みました。安価な材料で手軽に作れるシャクシュカは、新国家の限られた食料事情にぴったりでした。ただしレストランに並ぶのは1990年代からです。ヤッフォの「ドクター・シャクシュカ(Dr. Shakshuka)」は1991年開店。この料理を広めた象徴的な存在です。
食文化研究者のクラウディア・ローデンは著書『The Book of Jewish Food』の中で、シャクシュカを「離散したユダヤ人たちが各地の食文化を吸収して生まれた料理」と表現しています。ひとつの鍋で文化が混ざり合う――それがこの料理の魅力です。
世界への広がり
2010年代以降、シャクシュカはニューヨーク、ロンドン、パリのブランチメニューに急速に浸透しました。InstagramやPinterestでの見映えの良さ(鋳鉄鍋に赤いソースと白い卵のコントラスト)もSNS時代の追い風となっています。英語圏のフードメディアでは「the perfect brunch dish(完璧なブランチ料理)」として繰り返し取り上げられ、2020年のロックダウン期間中には「パントリーの材料だけで作れるおしゃれ料理」として世界中で検索数が急増しました。
中東料理の全体像を知りたい方は、中東料理の魅力と定番レシピまとめもあわせてどうぞ。
よくある質問
Q. 前日に作り置きできますか? トマトソースは前日に作っておくと味がなじんで翌朝さらにおいしくなります。朝はソースを温め直してから卵を落とすだけ。ソースの冷蔵保存は3日間、冷凍なら1か月もちます。ただし卵は食べる直前に入れてください。
Q. フライパンの蓋がない場合はどうしますか? アルミホイルをかぶせれば代用できます。蒸気を閉じ込めることで卵の表面にも熱が回り、均一に火が通ります。蓋なしで焼くと白身の上部が固まらないまま底が焦げてしまいます。
Q. 辛くない版は作れますか? カイエンペッパーを省略するだけで十分マイルドになります。お子さん向けにはパプリカパウダーも甘口タイプを使い、フェタチーズを多めにのせると酸味も抑えられます。
Q. 残ったシャクシュカの温め直し方は? 電子レンジだと卵が爆発する恐れがあるので、フライパンで弱火で温め直すのがおすすめです。卵は別にして、ソースだけ温めてから新しい卵を落とし直すとベストです。
Q. 卵を4個以上入れたい場合はどうしますか? フライパンのサイズに合わせて卵の数を調整してください。26cmのスキレットなら4〜5個が限界です。6個以上入れたい場合は大きめのフライパン(28〜30cm)を使うか、ソースの量を1.5倍に増やして深めの鍋で作りましょう。卵同士が密着しすぎると白身が一体化してしまいます。
Q. シャクシュカはパンなしでも食べられますか? パンが定番ですが、ごはんと一緒に食べても合います。特に和風アレンジ版はごはんとの相性が抜群です。クスクスやブルグルを添えるのも中東の食べ方のひとつです。パスタのソースとして使うイタリア風のアレンジもあります。
Q. トマト缶がない場合の代用は? ケチャップは味が全く異なるので代用不可です。トマトジュース(無塩)400mlで代用可能ですが、煮込み時間を5分ほど追加して水分を飛ばしてください。夏場なら生の完熟トマト5個をざく切りにするのが最良の代替手段です。
Q. 1人だけの分量で作ることはできますか? ソースの量を半分にし、15〜18cmの小さいスキレットで卵2個のミニシャクシュカを作れます。ニトリの15cmスキレット(500円前後)がちょうどいいサイズです。1人暮らしの朝食やおつまみにぴったりの量になります。
イスラエルではチャラ(ハッラー)という編み込みパンを添えることが多いですが、日本で手に入るパンならバゲット、チャバタ、ナンがよく合います。厚切りのトーストでも十分です。ポイントは「ソースをすくえる」こと。薄切り食パンだとソースに負けてしまうので、しっかりした生地のパンを選んでください。
参考文献
- J. Kenji López-Alt. "The Food Lab: How to Make the Best Shakshuka." Serious Eats, 2025.
- Suzy Karadsheh. "Best Shakshuka Recipe." The Mediterranean Dish, 2025.
- Yotam Ottolenghi. "Shakshuka." Ottolenghi, 2024.
- Claudia Roden. The Book of Jewish Food. Knopf, 1996.
百科事典:
- "Shakshouka — History and Origins." Wikipedia, 2026.











