南米で醤油が香る——「チーファ」という奇跡
リマの旧市街に立ち並ぶ「チーファ(Chifa)」と呼ばれるレストラン。中華料理店に見えて、メニューにはスペイン語が並び、唐辛子はアヒ・アマリージョ、調味料には醤油(シージャウ)が使われている。このチーファこそ、19世紀に中国系移民がペルーにもたらした食文化が、南米の食材と100年以上かけて融合した結晶です。
その代表格がロモサルタード(Lomo Saltado)——牛ロース肉、トマト、紫玉ねぎを高温の中華鍋で一気に炒め、醤油と酢で味付けし、フライドポテトと白飯を添えて食べるペルーの国民食です。南米・中米料理の中でもアジアの調理法との融合が際立つ、唯一無二の存在です。
ロモサルタードの最大の特徴は、炒め物(中華の鍋振り)とフレンチフライとライスが一皿に同居するという、世界でも珍しい構成にあります。炒め物は中国、フライドポテトはヨーロッパ、そしてそれらを一皿に盛り合わせるのはペルー独自の発想——この「文化のミックス」こそがペルー料理の真骨頂であり、ロモサルタードはその象徴なのです。
ロモサルタード(Lomo Saltado)は、ペルーの代表的な家庭料理。「ロモ」は牛のロース肉、「サルタード」は「炒めた」を意味するスペイン語。19世紀に中国系移民(クーリー)がペルーにもたらした中華料理の調理法と、現地の食材が融合して生まれた「チーファ料理」の最高傑作。ペルーでは家庭料理としてもレストラン料理としても最も人気が高く、「ペルー人が最も愛する料理」の調査で常に上位に入る。
この料理の歴史 — 中国人クーリーが南米で生んだフュージョン

ロモサルタードの歴史は、19世紀のペルーにおける中国人労働者(クーリー)の移民史と密接に結びついています。
1849年、ペルー政府は砂糖農園やグアノ(鳥の糞)採掘場の労働力不足を補うため、中国南部の広東省・福建省から契約労働者を大量に受け入れました。1874年までに約10万人の中国人がペルーに渡り、過酷な労働条件の下で8年間の契約に縛られました。
契約期間が終了した中国人の多くはリマに移り住み、小規模な食堂や雑貨店を営み始めました。彼らが故郷の調理技法——特に中華鍋での強火炒め——を駆使して、ペルーの食材(トマト、アヒ・アマリージョ、じゃがいも)と中国の調味料(醤油)を組み合わせた料理を提供したのが、チーファ料理の始まりです。
「チーファ(Chifa)」という言葉自体が、広東語の「吃飯(chī fàn = ごはんを食べる)」に由来するとされています。現在、ペルー全土に約6,000軒のチーファが存在し、ペルー人にとって「チーファに行く」は「中華を食べに行く」という日常的な行為です。
ロモサルタードは、このチーファ文化の中で最も成功した料理です。中華の「鍋振り」技法、ペルーの「アヒ・アマリージョ」、ヨーロッパの「フライドポテト」——三大陸の食文化が一皿に凝縮されたこの料理は、ペルーの多文化主義(メスティサヘ)の食の象徴と位置づけられています。
セビーチェが「海のペルー」を代表するなら、ロモサルタードは「陸のペルー」を代表する料理と言えます。どちらもペルー人のアイデンティティに深く根ざした国民食であり、2023年のペルー文化省の調査では、ロモサルタードは「ペルー人が最も頻繁に自宅で作る料理」の第1位に選ばれています。
調理のコツ — 完璧なロモサルタードを作る5つの技術

1. 「ウォクヘイ」を出せ
中華料理の「鍋気(ウォクヘイ)」——高温の鍋で材料が焦げる瞬間に生まれる香ばしい風味——は、ロモサルタードの味の核心です。家庭用コンロでもこの風味を出すコツは以下の通り。
- 材料を少量ずつ(半量ずつ)炒める
- 鍋に材料を入れる前に、油が煙を出すまで加熱する
- 醤油は鍋肌に直接当てて「ジュッ」と焦がす
2. トマトは「生に近い状態」で止めろ
ロモサルタードのトマトは半生が理想です。形がしっかり残り、噛むとジューシーな酸味が弾ける状態。加熱しすぎるとソース状になり、炒め物ではなく煮物のような仕上がりになってしまいます。トマトを鍋に入れたら30秒以内に次の工程に進むのが鉄則です。
3. 醤油は「キッコーマン」で十分
ペルー人が使う「シージャウ(sillao)」は、実はキッコーマンの醤油とほぼ同じものです。19世紀に中国人が持ち込んだ醤油がペルーに定着し、現在ではペルー国内でも醤油が製造されていますが、日本のキッコーマンやヤマサの醤油で全く問題なく本場の味が再現できます。ナシゴレンのケチャップマニスとは違い、バランスの取れた日本の醤油がロモサルタードには最適です。
4. フライドポテトは「太め」に切れ
ロモサルタードのフライドポテトは、マクドナルドのような細いフレンチフライではなく、1cm角の太い棒状が伝統です。太めに切ることで、炒めの具材と混ぜても崩れず、内部のホクホク感が残ります。パステル・デ・チョクロと同様に、南米料理ではじゃがいもが重要な脇役を務めます。
5. 盛り付けの「三層構造」を守れ
ロモサルタードの盛り付けは「ごはん → フライドポテト → 炒め物」の三層構造が正式です。食べる時は三つを混ぜ合わせ、ごはんにソースが染み込み、ポテトがソースを吸った状態で食べるのが最も美味しい食べ方です。ごはんとポテトを別皿にする店もありますが、家庭では一皿盛りの方が洗い物も楽で理にかなっています。
ロモサルタードの鍋底に残った醤油とトマトのソースは、そのまま捨てるにはもったいないほど美味しい。このソースに茹でたスパゲッティを絡めると、ペルー風の「タジャリン・サルタード(Tallarin Saltado)」——実はペルーで最も人気のあるパスタ料理——に変身します。
アレンジ・バリエーション — ロモサルタードを応用する

ポジョサルタード(鶏肉版)
牛肉の代わりに鶏もも肉500gを使うバージョン。鶏肉は一口大に切り、同じように高温で炒めます。牛肉より安価で、味もさっぱり。鶏肉は火が通りやすいので、焼き付け時間は片面20秒で十分です。ペルーの家庭では「今日はお金がないからポジョで」という日に登場する庶民の味です。
マリスコスサルタード(海鮮版)
牛肉の代わりにエビ200g+イカ200gを使うシーフード版。海鮮は火が通りやすいので、最初の焼き付けは省略し、玉ねぎの後にエビとイカを加えて1分炒めるだけで完成します。リマの海岸沿いのレストランで人気のバージョンです。
タジャリン・サルタード(パスタ版)
フライドポテトとごはんの代わりにスパゲッティ200gを使うアレンジ。茹でたパスタを炒めの最後に加えてソースを絡めます。ペルーのチーファではロモサルタードと並んで定番メニュー。パッタイのように、アジアの麺文化が南米で独自に進化した好例です。
よくある質問
アヒ・アマリージョがないと作れませんか?
アヒ・アマリージョなしでも「牛肉と野菜の醤油炒め」として美味しく作れますが、ペルー料理としてのアイデンティティは大きく損なわれます。代替としては韓国産コチュジャン+ターメリックが最も近い風味と色を再現できます。
牛肉の部位はどこがベスト?
サーロインまたは肩ロースがベスト。赤身が適度にあり、短時間の強火調理で柔らかく仕上がります。もも肉は固くなりやすいため不向き。ステーキ用の肉を短冊切りにするのが最も手軽です。
フライドポテトは冷凍でもいい?
冷凍フライドポテト(太切りタイプ)で代用可能です。ただし、じゃがいもから手作りした方が、炒め物のソースを吸い込む力が強く、味の一体感が圧倒的に違います。時間がない場合は冷凍でも十分ですが、一度は手作りで試してみてください。
赤ワインビネガーの代わりは?
白ワインビネガー、りんご酢、米酢のいずれでも代用可能です。ペルーの家庭によってはライム汁を使うケースもあり、これはこれで爽やかな仕上がりになります。酢の酸味がトマトの酸味と合わさって、脂っこさを切る重要な役割を果たしているので、酸味は省略しないでください。
栄養情報(4人分のうち1食分)
| 栄養素 | 含有量 |
|---|---|
| カロリー | 約650kcal |
| タンパク質 | 35g |
| 脂質 | 28g |
| 炭水化物 | 62g |
| 食物繊維 | 5g |
| ナトリウム | 950mg |
ロモサルタードは牛肉からの良質なタンパク質、トマトからのリコピンとビタミンC、じゃがいもからのカリウムと食物繊維を含む、栄養バランスの良い一品です。炭水化物がごはんとフライドポテトの二重になっている点はカロリーが高めですが、ペルーの肉体労働者の食事として生まれた料理であることを考えれば合理的。カロリーを抑えたい場合はフライドポテトの量を半分にし、ごはんを少なめに盛ってください。
参考文献
- Lomo Saltado - The Classic Peruvian Stir-Fry - Serious Eats
- The Chinese-Peruvian Dish That Defines Fusion Cuisine - Atlas Obscura
- History of Chifa: Chinese-Peruvian Cuisine - BBC Travel
- Peruvian Lomo Saltado: A Complete Guide - Peru Delights
- Chinese Immigration to Peru in the 19th Century - Pacific Historical Review











