鍋のふたを開けると、くたりと柔らかくなったなすが、オリーブオイルとトマトの煮汁の中に並んでいます。けれども、すぐには食べません。火を止めた鍋をそのまま台所に置き、なすがすっかり冷めて味が落ち着くのを待つ。トルコの食卓で長く愛されてきたイマム・バユルドゥ(İmam bayıldı)は、なすに玉ねぎとトマトを詰め、オリーブオイルでゆっくり煮てから、冷まして食べる料理です。名前の意味は「イマーム(イスラムの導師)が気絶した」。料理の名前としては、ずいぶん大げさです。
イマームはなぜ気絶したのか

この奇妙な名前には、いくつもの言い伝えがあります。いちばんよく知られているのは、ある導師がこの料理の香りと味にあまりに心を奪われて気を失った、という話です。トルコ政府の観光広報機関GoTürkiyeも、料理名はこの民話に由来すると紹介しています。別の言い伝えでは、導師が気絶したのはおいしさのせいではなく、料理に使われたオリーブオイルの量、つまりその値段に驚いたからだとされています。オリーブオイル商人の娘を妻にした導師が、嫁入り道具の12壺の油を毎晩この料理で使い切られ、油が尽きた13日目に気絶した、という話まで伝わっています。
どちらが本当かは、はっきりしていません。ただ、言葉の面から見ると面白いことがわかります。トルコ語の動詞「bayılmak(バユルマク)」には、「気絶する」という意味と、「何かがとても好きだ、うっとりする」という意味の両方があります。英語圏の言語ブログLanguage Hatが引くトルコ語・英語辞典にも、この二つの意味が並んでいます。つまり「イマム・バユルドゥ」は、気を失うほどおいしいという褒め言葉として読むこともできるのです。
トルコには、なすを切り開いてひき肉を詰める「カルヌヤルク(Karnıyarık)」という料理もあります。見た目はよく似ていて、イマム・バユルドゥにひき肉を加えたものがカルヌヤルクにあたる、と説明されることもあります。肉を使わないイマム・バユルドゥは、肉の日の料理ではなく、オリーブオイルで煮る野菜料理の側に入ります。
オリーブオイルで煮て、冷ましていただく料理
イマム・バユルドゥは、トルコ料理の中でも「ゼイティンヤール(zeytinyağlı)」と呼ばれる料理の仲間です。ゼイティンヤールはトルコ語で「オリーブオイル入りの」という意味で、野菜をオリーブオイルと少しの水でじっくり煮る料理を指します。セロリやズッキーニなど、季節の野菜がこの方法で煮られ、前菜(メゼ)として食卓に並びます。
GoTürkiyeによると、オスマン帝国の宮廷料理は長いあいだ獣脂などの動物性の脂に頼っていましたが、オリーブオイルの交易によって宮廷の台所にもオリーブオイルが入り、オリーブオイルの料理が広がっていきました。オリーブの木が多いエーゲ海沿岸の町々の食卓も、こうした料理と深く結びついています。
なぜ冷まして食べるのか。熱いうちはオリーブオイルの香りが立ちすぎ、なすの中にも煮汁が落ち着いていません。鍋のまま冷ます間に、なすが玉ねぎとトマトの汁を吸い、煮汁となすが一体になっていくのです。トルコ料理の家庭料理を英語で伝えている料理研究家オズレム・ウォレンも、煮上がったなすを鍋の中で冷まして休ませ、味をなじませてから盛ることを勧めています。
トルコ語でなすは「パトルジャン(patlıcan)」。トルコにはなすの料理が200種類以上あるといわれ、イマム・バユルドゥはその中でも代表的な一皿です。
日本のなすで作るなら、米なすがいちばん近い
縦半分に切って詰めるこの料理には、大きめのなすが向いています。日本で作るなら、ずんぐりと大きな米なすが、縦半分に切って詰め物をする料理にいちばん合います。米なすがなければ、長なすを1人1本ずつ使ってもかまいません。小ぶりのなすは煮る時間が短くて済む一方、詰め物が入るすき間も小さくなります。
なすを選ぶときは、皮につやと張りがあり、持ったときに大きさのわりにずっしりと重いものを選びます。皮にしわが寄っていたり、柔らかくたるんでいたりするものは、収穫から時間がたっていて苦みが出やすくなります。オズレム・ウォレンは、なすがいちばんおいしいのは7月から9月の夏だと書いています。
オリーブオイルは、詰め物と煮汁に使う分はエクストラバージンオリーブオイルを、なすを揚げ焼きにする分はピュアオリーブオイルやキャノーラ油など、クセが少なく扱いやすい油を使い分けると、香りも値段もちょうどよくなります。詰め物に加える乾燥ミントは、トルコの家庭料理によく登場する香りで、スーパーのスパイス売り場やハーブティーの棚で見つかります。
途中で見つける、味の決め手
前菜として、常温で

イマム・バユルドゥは、常温か冷やした状態で、前菜(メゼ)として食べることが多い料理です。肉を使わない料理なので、ベジタリアンの食卓にも向いています。レモンを搾ると、オリーブオイルのこくの中にさわやかな酸味が加わり、最後まで重たく感じません。パンを添えて、皿に残った煮汁をぬぐって食べるのもおすすめです。
ほかのメゼと並べれば、トルコの食卓らしい一皿になります。トマトと唐辛子を刻んだエズメ、ブルグルのサラダクスル、白いんげん豆のサラダピヤズを少しずつ用意すると、作り置きの前菜だけで夕食の始まりが整います。焼いたなすを使う料理なら、トルコのヒュンキャール・ベーンディも比べてみてください。
よくある質問

温かいうちに食べてはいけませんか?
食べられます。温かいうちに出すこともありますが、常温に冷ましてから食べることの多い料理です。冷ますことで煮汁がなすになじみ、味がまとまります。温かいうちはオリーブオイルの香りが立ち、なすもまだ水分を多く含んでいるので、少し印象が違います。
作り置きはできますか?
冷ましてから保存容器に入れ、冷蔵庫で2〜3日を目安に食べきってください。冷蔵庫から出したてはオリーブオイルが固まって白くなることがあるので、食べる少し前に出して常温に戻すと、口当たりがなめらかになります。
揚げ焼きをしないで作れますか?
油を減らしたい場合は、オーブンやフライパンでなすを焼いてから詰める方法もあります。ただし、揚げ焼きのほうがなすの果肉がとろりと柔らかくなり、詰め物の味もしみやすくなります。焼く場合は、果肉が柔らかくなるまで火を通してから詰めてください。
辛くしたいときはどうしますか?
基本のイマム・バユルドゥは辛くない料理です。辛みがほしい場合は、詰め物に刻んだ青唐辛子や、トルコの唐辛子フレーク(プル・ビベル)を少し加えると、トマトの甘みと合います。
乾燥ミントがないときはどうしますか?
なくても作れます。生のミントがあれば少量刻んで加えてください。ミントがなければ、パセリを少し増やすと、さわやかさを補えます。














