漢方の香りが立ちのぼる「骨の茶」
マレーシアの港町クラン。夜明け前の暗い通りに、湯気と漢方の香りが漂います。錆びたトタン屋根の下、プラスチックの丸テーブルに着いた労働者たちが啜っているのは、骨付き豚肉を漢方薬材で長時間煮込んだ滋養たっぷりのスープ——**バクテー(肉骨茶 / Bak Kut Teh / 肉骨茶)**です。
バクテーは福建語で「肉骨の茶(バッ・クッ・テー)」を意味します。名前に「茶」とありますが、茶葉が入っているわけではありません。この「茶」は、かつて港湾労働者がバクテーを食べながら中国茶(鉄観音や普洱茶)を一緒に飲む習慣があったことに由来するとされています。脂の多いスペアリブを食べた後に、渋みのある中国茶で口の中をさっぱりさせる——この組み合わせは理にかなっています。
バクテーの魅力は、**西洋のコンソメやフォンとは根本的に異なる「漢方のうま味」**にあります。八角(スターアニス)、桂皮(シナモン)、丁字(クローブ)、当帰、玉竹、党参——これらの漢方薬材が骨付き肉のゼラチン質と溶け合い、体の芯から温まる深い味わいを生みます。一口啜れば、なぜ東南アジアの華人たちがこのスープを100年以上愛し続けているのかが即座に理解できるでしょう。
バクテー(肉骨茶 / Bak Kut Teh)は、19世紀にマレーシアの港町クランで中国系移民(主に福建系)が生み出した薬膳スープ。骨付きスペアリブを漢方薬材と醤油で煮込んで作る。マレーシアとシンガポールで国民的な朝食として愛される。2024年にはマレーシア・シンガポール共同でユネスコ無形文化遺産に申請された。

材料(4人分)
メイン
| 材料 | 分量 | 代替・備考 |
|---|---|---|
| 豚スペアリブ(骨付き) | 800 g | 必ず骨付き。骨からゼラチンが出る |
| にんにく(皮付きのまま) | 1玉(10〜12 片) | 皮付きのまま鍋に入れる |
| 水 | 2L | — |
| 老抽(濃口醤油) | 大さじ2 | たまり醤油で代用可 |
| 生抽(薄口醤油) | 大さじ3 | 普通の醤油で代用可 |
| オイスターソース | 大さじ1 | — |
| 砂糖 | 小さじ2 | — |
| 白こしょう(粒) | 大さじ1 | クラン式の特徴。たっぷり使う |
| 塩 | 小さじ1(味を見て調整) | — |
漢方スパイス(薬膳パック)
| 材料 | 分量 | 入手先・備考 |
|---|---|---|
| 八角(スターアニス) | 4 個 | スーパーの中華食材コーナー |
| 桂皮(シナモンスティック) | 2 本(各8cm) | セイロンシナモンでなくカシアが適する |
| 丁字(クローブ) | 6粒 | — |
| 甘草(カンゾウ) | 3切れ | 漢方薬局・Amazon |
| 当帰(トウキ) | 2切れ | 漢方薬局。なければ省略可 |
| 玉竹(ギョクチク) | 3 本 | 漢方薬局。なければ省略可 |
| 党参(トウジン) | 2 本 | 漢方薬局。なければ省略可 |
| 枸杞(クコの実) | 大さじ1 | スーパー・カルディ |
バクテーの漢方薬材を一つずつ揃えるのは大変ですが、以下の方法で簡単に入手できます。
- Amazon: 「バクテーの素」「肉骨茶スパイス」で検索すると、薬材がセットになったパックが500〜800円で見つかります。A1ブランドやEu Yan Sangブランドが定番
- 中華食材店: 横浜中華街・神戸南京町・池袋北口の中華食材店で漢方薬材がバラ売りされています
- カルディ: 八角・シナモン・クローブは常時取り扱い。甘草やクコの実も一部店舗で入手可能
- 漢方薬局: 当帰・玉竹・党参は漢方薬局で「食用」として購入可能(100 gあたり300〜500円)
初回は市販の「バクテーの素」パックを使い、2回目以降に自分でスパイスを調合するのが効率的です。
付け合わせ
| 材料 | 分量 | 備考 |
|---|---|---|
| 油条(ヨウティアオ / 揚げパン) | 4 本 | 冷凍品がAmazon・中華食材店で購入可能 |
| ごはん(白米) | 4膳分 | バクテーのスープをかけて食べる |
| 青菜(チンゲン菜 or 空芯菜) | 1束 | スープの中でさっと茹でる |
| 中国茶(鉄観音 or 普洱茶) | 適量 | 伝統的な組み合わせ。脂をさっぱりさせる |

この料理に使う食材・道具


調理手順
きれいにした鍋に水2Lを入れて強火にかける。沸騰したら下茹で済みのスペアリブ、皮付きのにんにく1玉、漢方スパイスパック、白こしょう粒大さじ1を全て入れる
にんにくは皮をむかずに丸ごと入れるのがポイントで、皮が煮崩れを防ぎつつ、じんわりとスープにうま味を与えます。白こしょうはクラン式バクテーの決め手で、ここをケチるとバクテーらしい辛味が出ません。

再び沸騰したらアクを丁寧にすくい取り、弱火に落として蓋をする。1時間30分〜2時間、スペアリブの肉が骨から簡単に外れるまで煮込む
火加減は「蓋の隙間から蒸気がゆっくり出る程度」の弱火が理想で、グラグラ沸騰させるとスープが濁り、肉が固くなります。途中で水位が下がったら、その都度水を足してスペアリブが常に水面下にあるようにします。

煮込み終わる30分前に、老抽大さじ2、生抽大さじ3、オイスターソース大さじ1、砂糖小さじ2を加えて味を調える。塩で最終調整する
醤油は最初から入れると肉が固くなるため、煮込みの終盤で加えるのがコツです。老抽(濃口醤油)はスープに深い色と甘みを、生抽(薄口醤油)は塩味とうま味を与えます。日本の醤油で代用する場合は、たまり醤油大さじ2+普通の醤油大さじ3が最も近い味になります。

漢方スパイスパックを取り出す。チンゲン菜などの青菜をスープの中でさっと茹でて(1〜2分)添える。油条があればトースターで軽く温め、一口大にちぎって添える。土鍋に移して食卓へ
バクテーは土鍋のまま食卓に出し、各自がスプーンで肉とスープをよそうのが伝統的な食べ方です。油条をスープに浸すとじゅわっとスープを吸い込み、これが病みつきになります。

この料理の歴史 — 港湾労働者が生んだ薬膳スープ

バクテーの起源については複数の説がありますが、最も広く受け入れられているのは19世紀のマレーシア・クラン港説です。
1840年代、マレー半島のスズ鉱山ブームにより、中国南部の福建省から大量の労働者がクランに流入しました。彼らは早朝から港で荷揚げ作業に従事し、厳しい肉体労働と熱帯の気候に体力を消耗していました。そこで労働者たちは、安価な豚の骨付き肉を、中国伝統医学の「温補(体を温めて補う)」の考え方に基づく漢方薬材で煮込むというスープを考案しました。
漢方の理論では、八角は「温陽(体を温める)」、当帰は「補血(血を補う)」、党参は「補気(気を補う)」の効能があるとされ、これらを組み合わせることで、疲労回復と体力増進を図る「食べる薬」としてバクテーは機能していたのです。
20世紀に入ると、バクテーは労働者の朝食から次第に一般家庭やレストランに広まりました。特に1940〜60年代に、クランの華人経営者たちが店舗を構えてバクテーを提供し始め、「クランのバクテー」がマレーシア全土に名を馳せるようになりました。
一方、シンガポールにも独自のバクテー文化が発展しました。シンガポールのバクテーは、マレーシア(クラン式)とは明確に異なる味わいを持ちます。
| 要素 | クラン式(マレーシア) | シンガポール式(潮州式) |
|---|---|---|
| スープの色 | 濃い琥珀色(醤油ベース) | 透明〜薄茶色(胡椒ベース) |
| 主なスパイス | 漢方薬材(八角、桂皮、当帰、甘草) | 白胡椒とにんにくが主体 |
| 味の特徴 | 複雑で深い薬膳の風味 | シンプルで胡椒が効いたパンチのある味 |
| 醤油 | 多用(老抽+生抽) | 控えめ、または不使用 |
| 付け合わせ | 油条、ごはん | 油条、ごはん、ユーティアオ |
| 供し方 | 土鍋で丸ごと提供 | 個別の碗で提供 |
2024年12月、マレーシアとシンガポールは共同でバクテーをユネスコ無形文化遺産に推薦しました。長年「バクテーはどちらの国のものか」で争ってきた両国が、共同推薦という形で和解したことは、食文化外交の好例として国際的に注目されました。ナシレマがマレーシアの国民食なら、バクテーはマレーシアとシンガポールを繋ぐ「共有遺産」と言えるでしょう。
調理のコツ — 完璧なバクテーを作る5つの技術

1. 下茹で(飛水)を絶対に省略するな
バクテーのスープが濁る最大の原因は「下茹でをサボること」です。骨付き肉には血液や骨髄の不純物が大量に含まれており、そのまま煮込むとスープが灰色に濁り、臭みが出ます。飛水(下茹で)で不純物を完全に除去し、流水で表面を洗い流す工程は、透明感のあるスープを作るための絶対条件です。
2. 弱火で煮込め、強火は厳禁
バクテーの煮込みは「弱火で長時間」が鉄則です。強火でグラグラ沸騰させると、以下の問題が起きます。
- スープが乳化して濁る(ラーメンの豚骨スープと同じ原理)
- 肉が固く縮む
- 漢方薬材の苦味が過剰に抽出される
「蓋の隙間からゆっくり蒸気が出る程度」の弱火を維持してください。圧力鍋を使えば時短可能(40〜50分)ですが、伝統的な味に近づけるなら通常鍋で2時間がベストです。
3. 白こしょうは「粒」で使え
バクテーに使う白こしょうは、挽いたパウダーではなく粒のまま使うのがポイントです。粒のまま長時間煮込むことで、辛味がスープ全体にゆっくりと溶け出し、パウダーのように一気にピリッとくるのではなく、後からじわじわと温かい辛味が広がります。ラクサのスパイスペーストとは対照的に、バクテーのスパイスは「引き算」の美学で、少数のスパイスを長時間かけて抽出する手法です。
4. にんにくは「皮付き丸ごと」
にんにくを皮ごと丸ごと鍋に入れるのはマレーシアの調理法で、皮が煮崩れを防ぎつつ、2時間の煮込みでにんにくの中身がクリーム状にトロトロになります。食べる時に皮をむくと、中からペースト状のにんにくが出てきて、これをスプーンでスープに溶かしながら食べるのが通の楽しみ方です。
5. 翌日のバクテーは格段にうまい
バクテーは「作りたて」より**「一晩寝かせた翌日」が格段に美味しい**料理です。冷蔵庫で一晩置くと、漢方薬材の風味が肉とスープに完全に馴染み、味に一体感が出ます。翌日に再加熱する際は、弱火でゆっくり温めてください。グヤーシュと同様に、煮込み料理は時間が味方する料理です。
マレーシアのバクテー店では、スープのおかわり(リフィル)が無料というのが常識です。自宅で作る際も、スープを多めに作っておいて、最初のスペアリブを食べ終わったらスープを再び注ぎ、ご飯にかけて食べる——これが正しいバクテーの楽しみ方です。
アレンジ・バリエーション — バクテーを自分好みに

ドライバクテー(乾肉骨茶)
マレーシアのクアラルンプールで人気の変化球。スペアリブを漢方スパイスと醤油で煮込んだ後、オイスターソース、甜醤油(テンジャンユー)、乾燥唐辛子で炒め煮にするドライタイプです。汁気がほぼない濃厚な味わいで、白飯のおかずとして秀逸。近年はシンガポールにも逆輸入され人気を博しています。
シンガポール式(潮州式)バクテー
漢方薬材を大幅に減らし、白胡椒とにんにくだけで勝負するシンプルなバクテーです。醤油もほぼ使わず、スープは透明。骨付きスペアリブの素材の味が際立つ仕上がりになります。作り方はクラン式と同じですが、漢方パックを省略し、白胡椒を大さじ2に増やし、醤油を大さじ1だけに減らします。
鶏肉バクテー
豚肉が食べられない方や、軽い仕上がりが好みの方向けのアレンジ。骨付き鶏もも肉4本で作ります。煮込み時間は1時間で十分で、鶏の出汁と漢方の組み合わせも意外なほど相性が良い。アドボのように醤油と酸味(酢の代わりにレモン汁少々)を加えると、さらに味に奥行きが出ます。
きのこバクテー
スペアリブに加えて、干し椎茸4〜5枚とエリンギ2本を入れるアレンジです。干し椎茸のグアニル酸と肉のイノシン酸の相乗効果で、うま味が爆発的に増します。干し椎茸は水で戻さず、そのまま鍋に入れて一緒に煮込むのが手軽です。レンダンのようにスパイスを大量に使う料理とは対照的に、バクテーは少数のスパイスを長時間煮出す「引き算の美学」で勝負する料理です。
よくある質問

バクテーの漢方薬材は省略してもいいですか?
八角、桂皮、クローブの3つは最低限必要です。これらがないとバクテーの味にならず、単なる醤油煮込みになってしまいます。当帰・玉竹・党参は風味に深みを加える「プラスアルファ」なので、入手が難しければ省略可能です。甘草も独特の甘みを添えますが、なくても成立します。
圧力鍋で作れますか?
作れます。加圧40〜50分で、通常鍋の2時間分に相当する柔らかさが得られます。ただし圧力鍋だとスープがやや濁りやすい傾向があるため、気になる場合は下茹で(飛水)を特に丁寧に行い、圧力鍋での加熱中は自然冷却で減圧してください。
豚バラ肉でも作れますか?
作れますが、骨付きスペアリブの方が圧倒的に美味しいです。骨から溶け出すゼラチン質がスープにコクととろみを与えるため、骨なし肉だけでは薄い仕上がりになります。どうしても豚バラを使う場合は、豚骨(ゲンコツ)を追加して出汁を補強してください。
バクテーと一緒に飲むお茶は?
伝統的には**鉄観音(ウーロン茶の一種)または普洱茶(プーアル茶)**です。どちらも脂を分解する効果があるとされ、脂の多いスペアリブとの相性が抜群です。日本で手に入りやすいものでは、ほうじ茶やジャスミン茶も悪くありません。マレーシアではロティチャナイと並んで、バクテーは朝食の定番メニューです。
バクテーの保存方法は?
冷蔵で3日、冷凍で1ヶ月保存可能です。冷凍する場合は肉とスープを一緒にジップロックに入れて保存し、解凍は冷蔵庫で一晩かけてゆっくり行ってください。電子レンジ解凍は肉が固くなるため避けてください。
栄養情報(4人分のうち1食分)

| 栄養素 | 含有量 |
|---|---|
| カロリー | 約480kcal |
| タンパク質 | 38g |
| 脂質 | 28g |
| 炭水化物 | 18g |
| 食物繊維 | 2g |
| ナトリウム | 1,100mg |
バクテーのスープには漢方薬材由来のミネラルが豊富に含まれています。また、骨から溶け出したコラーゲンやゼラチン質は、関節や皮膚の健康にも良いとされています。ただしスープに醤油を多用するため塩分は高め。高血圧の方は醤油を減らすか、スープを飲みすぎないよう注意してください。モヒンガーのように魚ベースのスープと比べると脂質は多いですが、漢方薬材の薬効を考えれば東南アジアの「食べる薬」としての価値があります。
参考文献

- Bak Kut Teh - Malaysia's Herbal Pork Soup - Serious Eats
- The History of Bak Kut Teh - South China Morning Post
- Malaysia and Singapore Joint UNESCO Nomination for Bak Kut Teh - Channel NewsAsia
- Traditional Klang Bak Kut Teh Recipe - Rasa Malaysia
- The Spice Merchant's Guide to Bak Kut Teh - Taste Atlas



