朝のテーブルの真ん中で、サハンがまだ鳴っている
トルコの朝食卓では、火から下ろしたばかりの小さな鍋が、パンやオリーブの皿に囲まれて真ん中に置かれます。取っ手が2つある浅い鍋で、名前はサハン。メネメンはサハンのまま食卓へ出されることが多い料理です。余熱で縁の卵がまだ小さくちりちりと音を立て、トマトの赤の上にピーマンの青い香りが立ち、バターとオリーブ油の匂いがふわりと重なります。みんなが新しいパンをちぎり、鍋から直接すくって食べます。
この朝食は、週末にゆっくり時間をかけて囲むものです。卵料理やサラダ、ボレキやギョズレメ、シミットといった皿が並ぶなかで、メネメンは湯気の上がる一品として真ん中に座ります。
卵、トマト、青いピーマン、オリーブ油が基本で、黒こしょうや赤唐辛子フレーク、オレガノで味を整えます。トマトとピーマンを煮詰めたところへ卵を入れ、ゆるく混ぜ固める一皿です。日本の台所で実際に手を動かすのは約15分。つまずきやすいのは二か所だけで、トマトの水分を先に飛ばすことと、卵を余熱で仕上げることです。見た目は日本の卵とトマトの炒め物によく似ていますが、ピーマンの青い香りと唐辛子の赤い香り、そしてパンですくう食べ方が、まったく別の料理にしてくれます。
名前は、トルコ西部イズミル県にある小さな町メネメンに由来します。日本語ではメネメンと書かれることが多く、トルコ語の綴りはMenemenです。家庭によっては「melemen」と呼ぶこともあり、Habertürkのコラムニストは、祖母が「melemen」と呼び、玉ねぎを入れなかったと書いています。
なお、シャクシュカに近い綴りのşakşukaはトルコでは別の料理で、卵を使いません。名前が似ているだけなので、混同しないでください。
歴史 — 新大陸の野菜と、ひとつの町
卵と玉ねぎは、旧大陸で古くから食べられてきた食材です。ところがトマトと唐辛子類はアメリカ大陸の作物で、今のメネメンを成り立たせる材料の組み合わせができたのは、オスマン史でもかなり後半になってからでした。宮廷の記録にトマトが現れるのは1690年代、「kavata」と呼ばれた緑の品種です。赤と緑のトマトが宮廷会計で目立ってくるのは19世紀初めのこと。ピーマン類が上流の台所で広く使われはじめるのも19世紀です。そう考えると、メネメンを15〜16世紀の宮廷に結びつける話は、歴史的には無理があります。
では誰がいつ作ったのか。残念ながら発明者の記録はないのが実情で、断定できる話は見当たりません。
発祥について有力とされる語りは、いくつかあります。そのひとつによると、1923年のギリシャとトルコの住民交換でクレタ島から移ったムスリムが、メネメンの町に定住しました。彼らは野草と卵とオリーブ油の簡素な料理を作り、のちに土地のトマト煮込みの肉を卵に置き換え、最後にピーマンが加わって今の形になった、というのです。町の外へ広まったのは1930年代以降とされています。確定した史実ではなく、あくまで複数ある説明のひとつです。肉の代わりに卵を据える工夫は、日本の家庭で卵とじが肉の代わりを務める感覚に少し近いかもしれません。
似た料理との境目も触れておきます。メネメンは、シャクシュカ(北アフリカ由来のアラビア語系の語で「混ぜたもの」の意)やフランスのピペラード、ハンガリーのレチョ、セルビアなどのサタラシュと系統が近い料理です。分かれ目は卵の扱いにあります。メネメンは卵をソースと混ぜ合わせてスクランブル状にし、シャクシュカは卵の形を残します。トルコにはçılbırという卵とヨーグルトの料理もありますが、こちらはトマトを使いません。卵の形を残すほうが気になる方は、シャクシュカやチャクチョウカもどうぞ。
玉ねぎは入れるのか — 家庭ごと、県ごとの食卓
メネメンの話になると、必ず持ち上がるのが玉ねぎの問題です。長く議論されてきましたが、主菜として食べるときは入れることが多く、朝食では入れない家庭が多い、という傾向があります。
2018年には、トルコの美食家Vedat MilorがTwitterで「メネメンは玉ねぎ入りか玉ねぎなしか」と投票を行いました。集まったのは437,657票。玉ねぎ派が僅差で勝ちましたが、得票は50.6%にとどまり、決着はつきませんでした。論争は翌年、アメリカの新聞が玉ねぎ入りのレシピを載せたことでも話題になっています。料理家のSaniye Anneは、玉ねぎがなければメネメンではないと言い切る側です。
トルコ文化観光省のKültür Portalıには、Isparta県の「kuru biberli menemen」(乾燥唐辛子のメネメン)が載っています。玉ねぎ、乾燥シヴリ唐辛子を茹でたもの、トマト、卵を使い、卵は固めか半熟かで仕上げます。分量は4〜6人分で、乾燥唐辛子を皿いっぱい、トマト4個、中玉ねぎ3個、油大さじ4、卵4個です。
一方、Samsun県の「çakallı menemeni」は、玉ねぎを入れない形で載っているとHabertürkが伝えています。公的なサイトにも両方が並んでいるのですから、論争に決着がつかないのも無理はありません。
違いは玉ねぎだけではありません。卵は先に溶いて加える家庭もあれば、鍋に直接割り入れる家庭もあります。Habertürkのコラムニストは、シャクシュカのように黄身を割らずに残す作り方もありうるのかと問いかけ、決まった答えがないこと自体をトルコ料理の特徴として書いていました。トマトは細かい角切りが多いものの、すりおろしやペースト、それらの混合もあります。違いを表にまとめます。
| 違い | トルコでの例 | 日本での置き換え |
|---|---|---|
| 玉ねぎ | 入れる家、入れない家。主菜では入れることが多い | 入れるなら新玉ねぎや普通の玉ねぎを薄切り |
| チーズ | 白チーズ(ベヤズ・ペイニル)やカシャルを仕上げ直前に | フェタ、またはモッツァレラ、とろけるチーズ |
| 肉の加工品 | スジュク(香辛料入りの干しソーセージ)。ピーマンが柔らかくなってから加える。パストゥルマ(香辛料衣の干し肉)は卵と同時に | チョリソー、ベーコン、生ハム |
| 卵の入れ方 | 先に溶く/鍋に直接割り入れる | どちらでも可。溶く方が均一に火が入る |
| 唐辛子 | 赤唐辛子フレーク、ピーマンの代わりにIsparta版は乾燥唐辛子 | 粗挽きの韓国唐辛子、ししとう、ピーマン |
日本の台所で手に入りやすいのは、フェタやとろけるチーズ、チョリソー、粗挽きの韓国唐辛子あたりでしょう。そこで編集部としては、まず玉ねぎなしで、卵は割り入れてから鍋の中で混ぜる基本形から作ることをすすめます。2回目から、玉ねぎやチーズで好みに寄せていけばいいのです。玉ねぎを入れると甘みと水分が増えるので、トマトを煮詰める時間は長めに取ってください。白チーズは塩気が強いため、チーズを入れる日は塩を先に減らしておきます。
途中で見つける、味の決め手
買い出しで迷うところ
トマト、ピーマン、卵、バター、フェタ、バゲットは、近所のスーパーで揃います。通販で探す価値があるのは、現地らしい赤い香りは唐辛子フレークで足せるという点から、プルビベルに近い粗挽きの唐辛子、それにパプリカパウダーとオレガノです。辛さの幅は商品ごとに違うので、辛口か甘口かの表示を確認してください。Aleppo系の唐辛子は辛さが穏やかで、Wikipediaも「Aleppo pepperを加えることがある」と述べています。ただ、最初は粗挽きの韓国唐辛子と普通のパプリカパウダーで代用し、物足りなければ専用のものを探す、という順番が現実的です。
メネメンの赤い油と色を支えているのは、唐辛子の辛さよりも、パプリカの甘い香りです。辛いものが苦手な家庭や子ども向けには、唐辛子フレークの代わりにパプリカパウダーを小さじ1/2入れます。カードを開いたら、辛みのない甘口かどうか、そして1回の使用量が小さじ1/2であることに対して容量が足りるかを、商品ページの表示で確かめてください。すでに家にパプリカパウダーがあるなら、買う必要はありません。スモーク香のあるタイプは、メネメンの軽い香りには強すぎるので、普通の甘口を選びます。
現地ではサハン(取っ手が2つの浅い鍋)で作り、そのまま食卓へ出します。日本では、直径20〜24cmのフライパンか、小さな耐熱の鍋で十分です。鍋敷きに置いてそのまま食卓へ運べば、現地の雰囲気にぐっと近づきます。
パンと一緒に、どう食べるか
定番は、新鮮なパンをちぎって鍋から直接すくう食べ方です。熱々の汁を受けとめるのは皿ではなく、パンの役目になります。パンで赤い油をすくうと、パンがトマトとバターの香りを吸い込んで、いちばんおいしい一口になります。Özlem's Turkish Tableは、カリッとしたパンとガーリックヨーグルトを添えれば、軽い夕食や充実した昼食にもなると紹介しています。
日本なら、バゲット、カンパーニュ、食パンのトースト、ピタパンのどれでも合います。ご飯にのせる食べ方もあり、醤油を少しかけると、和風の卵かけご飯に近づきます。朝食として並べるなら、オリーブ、きゅうりとトマトの切り身、チーズ、紅茶(チャイ)を添えてください。トルコの朝食卓の雰囲気が、ぐっと出てきます。
アレンジ 5パターン
- スジュク風:チョリソー60gを5mm厚に切り、ピーマンが柔らかくなったら加えて1分炒めます。油に香辛料の香りが移り、パンですくう赤い油が一段と深くなります。
- チーズ版:フェタ50gをちぎり、卵が固まる1分前にのせます。塩気が加わるので、塩は小さじ1/3に減らします。
- 玉ねぎ版:玉ねぎ75gを薄切りにして、ピーマンの前に2分炒めます。甘みと水分が増えるため、トマトの煮詰めは1分長くします。
- きのこ版:マッシュルーム80gを薄切りにし、ピーマンと一緒に炒めます。Wikipediaはきのこやラム肉のひき肉を使う変形も挙げています。
- ほうれん草版:Özlem's Turkish Tableがほうれん草も合うと書いています。ほうれん草50gをざく切りにして卵を入れる直前に加え、30秒で止めます。
失敗を戻す
メネメンは、分量より火加減の料理です。失敗は、火を止める瞬間と水分の見極めに集中します。下の表は、それぞれ原因と直し方を分けて並べました。
| 失敗 | 原因 | 戻し方 |
|---|---|---|
| 皿の底に赤い水がたまる | トマトの煮詰めが足りないまま卵を入れた | 弱火にして30秒〜1分、木べらで底を返しながら水気を飛ばす。戻らなければパンで受ける |
| 卵がそぼろ状に固まる | 混ぜすぎ、または火が強かった | 火から下ろしてバター5gを混ぜるとやわらぐ。次回は30秒早く火を止める |
| 味がぼんやりしている | 塩が足りない、または唐辛子の香りが弱い | 塩ひとつまみと唐辛子フレーク小さじ1/4を足し、10秒だけ混ぜる |
| ピーマンが苦い | 焦がしすぎた | 炒め時間を2分に短縮する。戻せないので次回の火加減で直す |
保存と作り置き
完成したメネメンは、当日中に食べきるのが基本です。卵に火が入った半熟の状態なので、冷蔵しても翌日には水が出て、食感が落ちます。冷蔵するなら、粗熱をとって密閉容器に入れ、翌日中に、中心まで熱が通るよう再加熱してください。冷凍は卵の食感が崩れるので向きません。
作り置きに向くのは、卵を入れる前のトマトとピーマンの煮詰めです。冷蔵で2日ほど持つので、食べる直前に温め直して卵を加えれば、朝の10分で作れます。
よくある質問
Q1. 玉ねぎは入れた方がよいですか?
正解はなく、2018年の投票でも玉ねぎ派が50.6%で、決着はついていません。入れると甘みとかさが出るので、主菜や夕食に向きます。初回は、トマトの香りを味わいやすい玉ねぎなしの基本形から試してみてください。
Q2. シャクシュカとはどこが違いますか?
卵の扱いです。メネメンは卵をソースと混ぜ合わせ、シャクシュカは卵をのせて形を残します。系統は近く、味はハリッサやクミンなどの香辛料の違いで変わってきます。
Q3. 唐辛子フレークがなければ何で代わりますか?
粗挽きの韓国唐辛子が同量で代わりになります。一味唐辛子は辛いので、小さじ1/4から始めてください。辛みが苦手なら、パプリカパウダーを小さじ1/2にして、色と香りだけを足します。
Q4. 子どもにも出せますか?
唐辛子フレークを入れず、ししとうではなくピーマンを使って、辛みを避けます。卵は中心まで固まるまで加熱してください。乳幼児や卵アレルギーの方には出さないでください。
Q5. 作り置きはできますか?
卵を入れる前のトマトの煮詰めを作り置きしておくのが、いちばん無理のない方法です。一度完成させたものは翌日中に食べきり、電子レンジなら600Wで30秒ずつ様子を見ながら加熱します。











